私はよく経営者や経営学者が提唱する経営セオリーを調べたりするのですが、それらを読みながら批判的に「あーでもない、こうでもない」と考えることがあります。
特にそれらのセオリーに対して問いたいことは、「そのセオリーは実践的かどうか?」ということです。
「よいセオリーほど実践的なものはない」とは心理学者のクルト・レヴィンの言葉ですが、全く同感です。
セオリーは実践的でなくてはいけません。
しかし、経営の現場で経営セオリーがぴったりはまって機能しているということをあまり聞きません。
それはなぜでしょうか。
それはセオリー自体に問題があるということもあります。セオリーが間違っているためセオリーが現場で動かないのです。
経営学とは学際的な学問分野です。そして、ときに、いやしばしば科学的な事実に基づかない考えや方法が独断的に提唱されることもあるのです。
つまり、理論自体が事実に基づかないデタラメなものであるため機能しないということです。
しかし、その他にも理由があります。それはセオリーの処方箋が理解されていないということです。薬と同様、セオリーにも処方箋が必要です。
つまり、そのセオリーをどのような場面で、どのようなタイミングで、どのような条件で用いるかという知識が必要なのです。
良薬であっても、それを不適切に服用していれば決して病気は治りません。むしろ、健康を害してしまうことでしょう。
セオリーも同じで、たとえ良いセオリーであっても、正しく用いなければ経営を良くするどころか、悪化させてしまいます。
セオリーがうまく機能しない1つの理由は、セオリーをどのように用いるかという処方箋が間違っているからなのです。
では誰がそのような処方箋を提供してくれるのでしょうか。セオリーの発明者である経営学者でしょうか。それとも経営コンサルタントでしょうか。
私は思うのですが、自身の会社の処方箋は、その会社の経営に携わる人が作るのがよいと思います。
なぜなら、自身のビジネスを誰よりもよく理解しているからです。
ただ、それらを経営コンサルタントに幾らか助けてもらうことはよいかと思います。
しかし、経営においてどのセオリーをどのような処方箋で実践していくかということは鍵となるため、経営者は自社の処方箋作りを完全に他人任せにすべきではありません。
経営セオリーは処方箋があってこそ経営に生かすことができるのです。
経営者の責任は正しい経営セオリーと処方箋を見出し、それらを実践し継承していくことなのです。