怒ることはよいことか?
今日は「怒り」について考えたいと思います。
皆さんは怒ることがありますか?
きっと「Yes」でしょう。
ほとんどの人は怒ることがあるかと思います。
独りでイライラすることもありますが、ときに怒りを外に表したり、人に対して怒ってしまうこともあることでしょう。
さて、怒ることはよいことでしょうか?
改めて、問われると少し考えてしまうかもしれません。
怒りは私たちに大きな影響を与える感情ですが意外と怒りについてどう扱ったらよいか分からずに、怒りによっていろいろな問題を起こしてしまうことがあるように思います。ですから、この記事が少しでも皆さんの怒りの取説づくりの助けになればと願っています。
怒りはよい動機になり得るか?
怒りの研究者である心理学者ライアン・マーティンは「怒りは不当な物事に対処する動機にもなる」ということを言ってます。(TEDトークより) 博士は続けて次のようなことも言っています。
「人種差別、いじめ、環境破壊などのような問題を解決するにはまず怒りを感じ、その怒りを元に戦うしかありません。戦う際には攻撃性も敵意も暴力も不要です。怒りを表す方法には…抗議運動をしたり、編集部に手紙を書いたり、社会運動に寄付やボランティアで貢献したり、アートや文学を創作したり、詩作や作曲をしてもいいし、お互いに相手を思いやる共同体を作って非道な行為を許容しないというやり方もあります。 この次、怒りがわき起こってきたときは抑え込もうとせずに、その怒りが教えてくれていることに意識を向けて前向きで生産的な何かに向けてみてください」。
ここでマーティン博士が言わんとしていることは分かりますが、博士のメッセージにはかなり無理があるように思います。そのメッセージはつまるところ怒りをよいことを行うエネルギーやきっかけにしてみてはということです。しかし、ある種の怒りは決して善を行うエネルギーにはならないように思います。怒りそのものは赦しや親切に結びつくことはありません。むしろ争いを生むエネルギーになることでしょう。怒りとは方向性を持ったエネルギーであり、ベクトルのようなものです。怒りのベクトルはそのままでは決して平和に向くことはないのです。
ただ人が怒りを感じて、その怒りの原因を見つめ直すことで、自分の怒りや考えを改め、怒りの感情を消し去った後に、問題に正しく向き合うことはできるかもしれません。しかしそれはもはや怒りではないように思います。
怒りの発散は怒りをかえって増大させ、心臓にも悪い
かつて、怒りの発散が怒りの解消につながるということを心理学者のフロイトは提唱しました。
激情を行動で発散し浄化することをカタルシスといいますが、フロイトはカタルシスによって怒りや激情を解消できると考えたのです。しかし、このカタルシス療法は怒りを解消するどころか、かえって増大させてしまうことを後の研究者らは明らかにしています。
1970年代に社会学者マレー・ストラウスは、いつも言い争っている夫婦ほど肉体的な暴力へと発展しやすいという調査結果を報告しています。つまり怒りを言葉に表して発散すればするほど怒りは増大するということです。これに類する調査結果が他にもいくつか報告されています。いずれも怒りを言動に表すことが怒りの増大に繋がることを示しています。
また、別の研究では、怒りやすい人は心臓疾患を起こしやすいということも示しています。A型心臓麻痺はまさに怒りによって引き起こされるものです。
これらの結果を見ると、怒りは言動で表すより、表さない方が心身にとってよいことが分かります。
怒りは全く必要ないのか?
マハトマ・ガンジーは次のような言葉を残しています。
「自分が正しいときには、怒る必要は全くない。
自分が間違っているときには、怒る権利は全くない」。
つまり、怒りは全く不要であるとガンジーは言っているのです。
私もほぼガンジーの意見に賛成です。怒りは幸福を全うするものではないと考えるからです。しかし、私は怒りを用いてもよい場面があるとも思っています。怒りを発動させてよいと私が考える場面は、自分や自分の家族または罪なき人が犯罪者などに危害を加えられるようなときです。そのようなときは犯罪者に抗するために怒りのエネルギーを発動させ戦ってもよいように思います。つまり、怒りを正当防衛のための最終手段として使うということです。ただお気づきのようにこのような機会は極めて稀ですから通常はやはり怒りを抑えるべきと思います。
私たちはあまりにも怒りを多用してしまいます。決して怒ることを意図しているわけではなく、ただただ反応的に怒ってしまうのです。私たちが他者から危害を加えられるようなことは現在の日本ではほとんどありませんから、怒りを発する必要はないわけです。しかし、私たちはちょっとした害や損失を被るか、それらを被るリスクを感じるとすぐに怒ってしまいます。そこに問題があります。最終手段である怒りをちょっとした損失感情によって発してしまうのです。
私たちには人に親切にしたり助けたりする機会が豊かにあるにもかかわらず、ちょっとしたことで怒ってしまうことで、それらから得られる喜びやよい人間関係を失ってしまうのです。ガンジーが言っているように怒る必要や権利はないと考えた方が私たちにとってよいように思います。
怒りを無くすための考え方
ガンジーの残した言葉には次のようなものもあります。
「罪を憎みなさい、罪人を愛しなさい」
これは日本のことわざでも言われている「罪を憎んで人を憎まず」と似ていますが、それよりさらに進んで、人を憎まないということだけではなく「罪人を愛しなさい」とまで言っているのです。これは非暴力によりインド独立に導いたガンジーらしい言葉と言えます。
アメリカの臨床心理学者のカール・ロジャースはセラピーにおいてクライアントに対する「無条件の肯定的配慮」の重要性を強調しています。人を条件付けで見るのではなく、無条件でその存在を承認することは、クライアントの心的状態を大きく改善する扉を開くことになります。多くのセラピストや心理カウンセラーらがロジャースの伝えた無条件の肯定的配慮を実践し、クライアントを助けています。セラピストはクライアントにいかなる問題があっても、悪い考えや特質や過去の罪悪があっても、クライアントの存在の価値を無条件で肯定的に承認することがなければそのクライアントを効果的に助けることができないのです。
これは言うは易し行うは難しですが、私たちは人をその言動や性質によって裁くことなく、その人の存在を承認しその人が幸福になることを願う気持ちを持つ必要があります。さもなければ、すぐに怒りの感情に負けて支配されてしまうことでしょう。
ここで大切なことは、怒りを用いるべきかどうか考えるときに、その怒りはあなたにとって、また相手にとって、またその他の人々にとって、幸福をもたらすものであるかという問いが必要であるということです。それには、人にとっての幸福とは何かという深遠な問いへの答えが求められます。
昨今では、怒りの対処法やアンガー・マネジメントという言葉がよく聞かれ、またそれらを用いた対処療法が為されています。しかし、怒りに向き合うときに、怒りについてどのように考え、取り扱うかという正しい哲学や価値観を理解することが大切なように思います。
アンダスタンディング・セオリーではそれらの考え方を深く学ぶことができます。興味がありましたらお聞きになってみてください。