ニーズとウォンツのギャップを無くす ~ 人の幸せのためにできること

目次

▪ニーズとウォンツ

私たちは人生においていろいろなところで他の人の幸せのために働く機会があります。

会社でマネージャーが社員を指導したり、学校で教師が生徒を教えたり、家庭で親が子供を育てたりするとき、それらの人々は誰かの幸せのために働いていると言えます。

しかし、他の人が幸せになれるようにと願っても、その願いは必ずしも叶えられるわけではありません。

「わが子の幸せを願ったにもかかわらず、この子は不幸になってしまった」と嘆く親はいますし、

「友人に助言したが助言は聞かれず、友人は苦境に陥った」と肩を落とす人もいます。

「人を幸福にするために何ができるだろうか」と多くの人が考えていますが、その答えは必ずしも容易ではありません。今回は人を幸せにするために私たちが理解すべきことについてお話ししたいと思います。

人を幸せにするために、私たちが人に与えるものには次の2つのものがあります。

その1つがニーズ(needs)であり、もう1つはウォンツ(wants)です。

ニーズとウォンツは似たもののように思われるかもしれませんが、その2つの意味は異なっています。ニーズとウォンツという言葉を定義するならば次のようになります。

①ニーズ(needs)とは…「人が幸せになるために必要なもの」です。

②ウォンツ(wants)とは…「人が欲するもの」です。

ここで予め断っておきますが、ニーズとウォンツという言葉はマーケティングなどの場でも用いられる言葉ですが、ここで用いるニーズとウォンツの定義はマーケティングなどの他場所で用いているそれらの言葉の定義とは異なっているということを伝えておきたいと思います。ですから、ここで伝える概念を理解するために、ここでのニーズとウォンツの定義を理解頂く必要があります。

もう少しニーズとウォンツについて説明を加えると、ニーズとは真の幸福を得るために必要なものです。真の幸福の必要条件と言ってもよいでしょう。人が幸福になるには無条件で幸福になれるわけではなく、幸福になるだけの何らかの条件を満たさなくてはいけません。もちろん幸福にはさまざまなものがあります。ただ最近、幸福学やポジティブ心理学では、万民に共通する持続的な幸福について論じられるようになってきました。本当の幸せに必要なものは利他的な精神や行い、そしてそれによって得られるよい人間関係であるということがそれを裏付ける調査結果と共に報告されています。今回は真の幸福について詳しく説明しませんが、万民に共通した持続的な幸福というものがあり、それを真の幸福と呼びたいと思います。そして、その真の幸福を得るために必要なものがニーズなのです。

では次にウォンツについて説明します。ウォンツはただただ人がしたいことです。それは欲求(desire)と言ってもよいかと思います。欲求は人や場面によってまちまちです。ですから、あるとき、ある人の欲することは、他の人の欲することではないかもしれません。もちろん、食欲や睡眠欲などの生理的欲求などのように万民に共通した欲求もあるかと思います。しかし、欲求の現れ方や強さは人によって様々なのです。つまり、ウォンツにはいろいろなものがあるということです。

例えば、休暇の過ごし方などを見ると、人によって様々です。ある人は家でゆっくりと過ごしたいと思うかもしれませんが、別の人は友人とレジャーに出かけたいと思うかもしれません。それらは好みや趣味の違いでもありますし、人の習慣や性格の違いとも言えます。いずれにしても、人の欲求は様々であるということを示しています。

これらの説明から、ニーズは真の幸福の条件であるため、特定のものと言えますが、ウォンツは人それぞれであり、複数のものがあり不特定のものということです。人を幸せにしたいと考え、助けようとするときに、これらニーズとウォンツについて整理されていないとうまく助けることはできません。また、お気づきのように真の幸福が何であるかと言うことを理解しなければ、当然その必要条件であるニーズを特定し理解することはできませんし、ましてやそれを与えることはできないでしょう。そして、ウォンツについては、人それぞれの内面を理解することが求められるということです。

▪ウォンツについて考える

人に何かを与えたとき、人が嬉しそうに笑顔になれば、私たちは人を幸せにしたと思うかもしれません。では、本当にその人は幸せになったのでしょうか。今日のその人の笑顔は明日、明後日また数年後の笑顔にもつながるものでしょうか。

親が子供に与えるおもちゃは数十年後もその子を幸せにできるものでしょうか。

会社が社員に支払う給与は社員を幸せにするのに十分なものでしょうか。

学生が学校で学んでいることは学生が成人したときにも役立つものでしょうか。

私たちが人に与えているものがニーズであるのか、ウォンツであるのかを考えるときには、「真の幸せとは何か」、「人の心はどのような状態であるか」ということを理解することが必要です。

私たちは、人に幸せになってほしいと思うとき、その人がすぐに喜んでもらえるものを与えようとします。人がもらって喜ぶものとは、その人がそのとき欲しいと思っているもの、すなわちウォンツです。ですから、私たちは人によくウォンツを与えようとしているように思います。しかし、ウォンツはそのとき人を喜ばすかもしれませんが、真にその人を幸せにするとは限りません。

ときに、その人が欲するものがその人を害してしまうケースもあります。例えば、幼い子供がいつも甘いお菓子を食べたがっているからといって、お菓子ばかりを与えていたら子供の健康や成長にとってよくないでしょう。もっと極端な例を挙げれば麻薬常習者が麻薬を求めるからと言って麻薬を与えていてはその人の人生を破滅させることになります。人が欲するものは必ずしもその人を幸せにしないのです。

しかし、全てのウォンツが有害というわけではありません。人を害することのないウォンツもありますし、人を益するウォンツもあります。ウォンツは先にも述べたように様々なのです。ですから、どのようなウォンツがその時々においてその人にとって有益かということを見極めることが大切です。それをしようとするならば、人の内面にあるウォンツと真の幸福求めるニーズとの照合と調整が必要となります。

▪ウォンツをニーズに近づける

ニーズは特定され共通したものです。一方、ウォンツは人や場面において不特定で様々です。人を幸福にしたいならば、真の幸福のニーズと人のウォンツを見極めた上で、ウォンツをニーズに近づけて上げることが求められます。

(まさに、これはアンダスタンディング・セオリーが伝えようとしているところです)。

人々の様々なウォンツを幸福の必要条件であるニーズに近づけ一致させることが人を真に幸福にするために必要なことなのです。

しかし、ウォンツをニーズに近づけ一致させると言ってもそれはそんなに容易なことではありません。

まず、理解すべきことは人のウォンツは変わり得るものですが、ニーズは変わることのないものです。それはニーズが真の幸福に結び付いた必要条件だからです。真理の原則に結び付いたニーズは不変であり、恣意的に変えられるものではありません。経営コンサルタントのスティーブン・R・コヴィーが言ったように「棒の端を持ち上げれば、反対側の端も持ち上がる」ということが、真の幸福とニーズについても言えると思います。つまり、棒の一端であるニーズを持ち上げれば、そのニーズと一体である棒の他端である真の幸福も持ち上げているということです。ニーズを選択するということは、真の幸福を選択していると言えるのです。

ニーズとウォンツについて理解するために、例えと図を用いて説明したいと思います。

例えば、アルコール中毒の人を幸せにしたければ、その人がお酒を求めたからと言って、お酒を与えていればその人は幸せにはなれないでしょう。お酒ばかりを飲んでいれば、その人は健康を害し、まともな仕事に就くこともできず、収入がないため貧しくなり生活に困ることになります。また、飲酒による感情的なトラブルを起こし人間関係も壊れていくでしょう。

では、このアルコール中毒の人のウォンツとは何でしょう。それはお酒を飲みたいということです。お酒が彼のウォンツです。そして、そのとき、その人にとってのニーズとは何でしょうか。それはお酒を飲むことを止めることです。真の幸福とは利他主義に基づくよい人間関係であるということですから、お酒を飲んで、自分の健康や生活や人間関係を壊すことは幸福とはいえません。よって、お酒を止めて自分を整えて、周りの人との良好な関係を築くことが求められます。

この人のニーズとウォンツを図で表すと次のような2つの円で表すことができます。

この人は酒を飲みたいというウォンツを持っていますが、酒を止める必要があるというニーズも抱えています。これらは相反するものであり、この人の中でそれらは一致していないため。次の図のようにニーズの円とウォンツの円は乖離した状態にあります。

一方、アルコールを全く飲まない人は、お酒を飲みたいという欲求はなく、お酒を飲まない状態でいたいというウォンツを持っています。よって、この人のウォンツは、酒を多く飲むべきではないというニーズと一致しており、ニーズの円とウォンツの円は次の図のように重なった状態にあります。

人が幸福であるという状態は一時的なウォンツが満たされている状態ではなく、ニーズとウォンツが重なり一致することで真の幸福が持続している状態です。

人を真に幸せにして上げたいと思うならば、ニーズが何であるかを理解し、相手のウォンツがどのようなものかを理解する必要があります。そして、その人のウォンツがニーズに近づくようによい影響を与える必要があります。

ウォンツをニーズに近づけるといっても、それは決して容易なことではありません。外から無理に人のウォンツを変えようとしても、それはうまくいきません。そのようなことをすれば相手から反発されるかもしれませんし、その人との関係を悪くするかもしれません。「その人の幸せのためにやったのに、何でこんなことになるのだろう」と思うことはよくあります。ウォンツは変わり得るものですが、必ずしも容易に変えられるものではないのです。

▪ウォンツを変える報酬学習の必要性はほとんど理解されていない。

ウォンツを変えるためには、報酬学習というものが必要となります。それは人があることを行なったときによい感覚やよい感情を得るという経験とそれを記憶することです。それらがなければ人の欲求は変わりません。何が正しいかだけではなく、何が自分をよいフィーリングにしてくれるかという学習が必要なのです。

さて、これまでニーズとウォンツについて話してきましたが、それらについて理解すると私たちが人や社会のためと思ってやっていることが、なぜうまく機能しないかということが分かるかと思います。

例えば、テレビなどの討論番組を見ていると、論客たちが国や経済をよくするために何をすべきかということを論じています。しかし、それらの議論は空転しています。

なぜでしょうか。

それは、それらの議論がニーズについて論じているだけだからです。問題を解決しようとするときにニーズだけを論じていては問題を解決することはできません。先にもお話ししたように、人や社会をよい状態にしようとするならば、人のウォンツをニーズに近づけて一致させて上げる必要があるのです。それはニーズが何かを見出し、見出したニーズを他者に押し付けることとは全く違います。正しいウォンツを育てるということ、すなわち報酬学習が必要なのです。

アンダスタンディング・セオリーの中で欲求を切り口として論じた考えに「欲求選択理論」というものがありますが、そこではどのような欲求を選択し、どのように報酬学習をするかということを伝えています。機会がありましたらお聞きいただければすばらしいかと思います。

今回は、誰かを幸福にして上げるために私たちがその人に与えるものには、ニーズとウォンツの2つがあり、私たちが真の幸福につながるニーズを理解しなくては、人を幸せにする助けをうまくできないということをお伝えしました。また、相手のウォンツがどのようなものか理解しなければ、その人のウォンツに対して適切に対応することができないということもお伝えしました。このことを理解し、ニーズにウォンツを近づけるため報酬学習の機会を人に与えることで、人へのアプローチをよりよいものに変えることになるかと思います。またいつか、ニーズとはどのようなものかを詳しくお話しし、人のウォンツに対してどのようにアプローチするかということについてもお話ししたいと思います。

では、お元気で。