2000年代になってからでしょうか。企業でコンプライアンスという言葉がしばしば聞かれるようになりました。
コンプライアンスとは「法令遵守」のことですが、もっと広い意味では「企業が社会における倫理的な責任を果たす」ということも含まれるようです。
しかし、このコンプライアスという言葉があまり好きではない方もいるのではないでしょうか。
実のところ、私もその1人なのです。
こんなことを言うと誤解されるかもしれませんが、私は決して無法者でも、法違反者でもありません。
ただ、コンプライアンスという言葉があまり好きではないのです。
私は2000年代、大企業で働いていました。そこで、よくこのコンプライアンスという言葉を耳にしました。しかし、企業の中でコンプライアンスという言葉を聞くたびに企業の活力が少しずつ失われていくように感じたのです。
このコンプライアンスという言葉はいい意味でも悪い意味でも、境界線を引いてしまうように思います。それは、遵法と違法を分ける境界線であると同時に、企業が法を超えて、もっとよいことをしようとすることを差し止めてしまう境界線にもなるように思います。
本来、企業であったら、もっともっとよいことをして社会に貢献できるのに、法遵守することに意識を向けることで、それ以上によいことをしなくなってしまったかのような感じがするのです。型破りな会社が少なくなったような気がします。
最近ではコンプライアンスをミッションの文言に入れて掲げる企業もあるようです。
もちろん法を守ることは大切ですが、それは当たり前のことです。
当たり前のことをミッションに掲げられてもと思ってしまいます。
もしある人に「あなたの夢は何ですか?」と訊いたときに、
「私の夢は法を守ることです」などと答えるならば、何ともつまらない人間のように思います。
さもなければ「これまでどんな犯罪を犯してきたの?」と疑いたくなります。
企業のミッションはコンプライアンスよりももっと高みにあって、私たちを奮い立たせるものでなくてはいけません。
コンプライアンスはミッションにはならないのです。